芽木の杜画布のなかにも芽木の杜

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  • みのる:句意は明解、誰にでも体験があるような情景ですが、先に詠んだほうが勝ちですから「やられた…」という感じですね。さてあえて「杜」を使ったのは確かに意図があるのでしょう。高樹齢の喬木が生い茂った原生林のような神苑が想像できます。そして杜全体が芽吹き始めているのです。生きとし生ける杜の生命力や芽木の芳しい香りも表現の裏に隠されていることを思います。 - 2024/04/15(月)
  • えいいち:読んでいると俳句の勉強をしてるような気持ちになりました。 - 2024/04/14(日)
  • 澄子:芽木の杜とありますから 勝手な想像ですがどちらかの神社に参拝の折授かった一句かと思いました。参道を辿って行くと先方にイーゼルを立て絵を描く方が……通りすがり画布に目を落とすと これから自分が向かう鳥居や参道が芽木に包まれそこに描かれていた………自分が歩きながら見ている杜 画家が捉えた画布の中の杜が ほぼ相似シンクロしていた…そんなトリック的な不思議さ面白さを感じさせる句だと思います。まだ若葉として開かない ほんの僅かな芽吹きは 早春の気配や幹の色に馴染んで曖昧で淡々とした雰囲気に包まれていたのでしょう。通りすがりふっと感じた不思議な一瞬を詠んだ句のように思いました。 - 2024/04/14(日)
  • 康子:「芽木の杜」の繰り返しにより画布と杜が一体化しているイメージを感じました。画布からはみ出して杜が広がり、絵が溶け込んでいるかのように。それにより一面に芽吹いた木々が広がっていることがわかります。心を無にすることで浮かんでくる感性なんだろうと思いました。 - 2024/04/14(日)
  • むべ:作者はもしかしたら絵心があった方でしょうか。あるいは、通りすがりにイーゼルを立てカンバスに向かっている人に出会ったのでしょうか。画布とありますので、油彩画なのですね。みずみずしい芽吹きの杜の美しさを油絵具でどう表現するか、そこには描き手の個性も表れます。森ではなく杜なのはなぜかなぁと考えたのですが、寺社や教会などを取り囲んでいる特別なエリアなのかもしれません。単に「絵になる場所」というだけでなく、神聖さ、清浄さも掲句から感じました。 - 2024/04/13(土)
  • かえる:作者は芽木の杜を堪能して歩いておられる。画架をたて、図画に没頭している画家と出会い、軽い気持ちで画布を覗くと、ここにも見事な芽吹きが写し取られている。虚にも実にも溢れる芽吹きに感嘆して、詠まずにいられなかったのでは。たった17文字の中に2度も繰り返されている「芽木の杜」に、作者の強い感動が反映されているように思います。 - 2024/04/13(土)